東海林修
東海林修は、1932年生まれのオールジャンルをこなす編曲・作曲家。 60~70年代は歌謡曲を中心に活躍していた。今でもよく耳にするのは歌謡曲ではないが、ブラスバンド用の「ディスコキッド」や、合唱曲の「怪獣のバラード」など。編曲としてはパフで有名な「笑点のテーマ」など。また1970年には国産レコードで初めてシンセ(Moog)を使った。 70年代後半から80年代は、アニメの劇伴やシンセアルバムを手掛けるようになる。「さよなら銀河鉄道999」の劇伴が最も有名。当時流行っていたコミックや小説などのイメージアルバムも多くリリースしている。編曲7割と作曲3割ぐらいだと思う。 90年代以降は、ますますシンセ中心の活動になっていく。そして作曲活動の割合が増えていく。 70歳を過ぎても精力的に活動を続けていたようだが、残念ながら2018年に亡くなってしまった。まさに生涯現役の人だった。
同年代の作曲・編曲家では、青木望(1931)、宮川泰(1931)、すぎやまこういち(1931)、冨田勲(1932)、小林亜星(1932)がいる。東海林修が一番年下。みなさん歌謡曲からアニメの世界に行っているところが興味深く、歌謡曲時代は作曲、編曲で分業していたりする。ある意味夢の競演をよくやっていた。勝手に奇跡の31、32年組と呼んでいる。
東海林修の斬新なアレンジは今聴いてもすさまじく、時代を超越しているところがある。 アレンジャーということもあり、各パートが凝っていて、単なる主旋律のためのフォローパートという扱いはされていない。 裏に隠れてしまっている音さえもカッコよく響いていたりする。どのパートも魅力的なのだ。 やや詰め込み過ぎではないかと思えることも多いのだが、飽きが来ない理由はここにありそうだ。 さらに依頼内容に応じて、別の作曲家じゃないの?と思えるほどスタイルを変えてくる器用さがある。まさに職人である。 アレンジとしての使いまわしはあるものの、ネタ切れ感はなく、その引き出しの多さ、アイデアの豊富さは生涯維持されたように思う。 常に新しいものを取り入れて、しかも守りに入らず、遊ぶという姿勢が、そうさせたのかもしれない。
1978年にリリースしたソロアルバムのスターウォーズ以降は、たまに生演奏との共演もするが、基本はスタジオでシンセアンサンブルとして完成させてしまうことが多い。 今で言うデスクトップミュージックの先駆け。 常に新しい機材を取り入れ、その機材の変貌が、そのままサウンドに出ているところが興味深い。
機材の変貌
1977~1982 System 700
1983~1984 Fairlight CMI IIx
1985~1986 Fairlight CMI IIx
1986~1987 Fairlight CMI III
1987~1988 Fairlight CMI III
1993~2014 Protools